私のヨーロッパ日記

2016年4月19日から5月3日までヨーロッパを周遊しました。その日記です。

4/23 ベルリン 2日目 その2 ホロコースト記念碑 トポグラフィーオブテラー

ホロコーストをドイツはどう総括しているのか知りたいという点も今回ベルリンを訪れたテーマのうちの一つだった。そこで友人を見送った後、一人でホロコースト記念碑を訪問した。記念碑と言っても石碑が一つあるだけのものでは無く、だだっ広い広場に無数の石碑が格子状に立ち並ぶ規模の大きなものだ。またベルリンを象徴するブランデンブルグ門のすぐ近くにあるのも特筆に値する。日本でいうと銀座のすぐ近くというイメージだろうか。
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地下には資料館があり、入場待ちの見学者が列をなしていた。
資料館に入ると、まずはナチスによるユダヤ人迫害の年表を追う事となる。ここではナチスドイツが600万人のユダヤ人の命を奪ったと明確に述べている。この年表はとてもボリュームがあり、ただ読むだけで30分は必要という代物だ。
それが終わると「次元の部屋」へと進むこととなる。部屋の周りをぐるっとヨーロッパの国々の名前が記されており、それぞれで確認された犠牲者数が併記されている。そして床には犠牲者が友人や家族に宛てた手紙が展示されている。
「次元の部屋」を見学した後は、「家族の部屋」へと進む。ここではホロコーストの時代を生きたいくつかのユダヤ人家族の暮らしをクローズアップし、彼らがこの虐殺の中でどのような運命を辿ったかを、彼らの生活用品と共に伝える。
そして次に向かうのが「名前の部屋」。これまでの展示とは一変し、暗闇の中にベンチが幾つか置いてあるだけの部屋である。よく見ると人名が壁に映し出されている。ここは、犠牲者の名前とその死までの簡単な経緯が延々と朗読される部屋だ。暗闇の中、犠牲者の名前が次々と映し出され、その一人一人についてどこでどう殺されたのかを説明する声が響く。それを多くの人たちが黙って耳を傾けている。今、準備されている原稿を一巡するために7年以上の時間が必要だとのことだった。
このようにこの資料館は600万人という犠牲者数をまず打ち出し、その数字が、家族や一人一人の人間の死で構成されていることを見学者に実感させる構成となっている。そして出口から地上に上がると、入る時までは全体としてしか捉えることができなかった無数の石碑を、下から見上げるような形になり、石碑個々の大きさが浮かび上がる仕掛けとなっている。
 
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何かの悲劇が発生した際に、その被害を示す数字を知ると何か概要を掴めたような気になる。ただこれらの展示を通じて、それでは到底不十分であることを改めて知った。数字に表れない個々人におこった悲劇をできるだけ多く深く知ることが、同じ過ちを再び起こさない為に必要だという事がよく理解できた。
 
その後、肉体的精神的疲れはピークに達するも近くのトポグラフィーオブテラーという展示施設へ。
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ナチスの秘密警察 ゲシュタポの本拠地跡を利用したもので、この施設も大規模だ。中はパネル展示で、ナチスの恐怖政治が始まった経緯からその終焉までが説明されている。
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パネルには絞殺刑や拷問時の写真など目を背けてしまうようなものも多い。ただ、一番精神的に堪えたのはアウシュビッツ官吏たちが近くの山へピクニックへ行った時の写真だ。本当に楽しそうに記念写真を撮っている。彼らが普段どんな事を行っていたかを考えると暗澹たる気持ちになる。
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ドイツ人の友達によると、子供の時からこういった所に学校からも家庭からも本当によく連れて行かれ学習させられるのだという。確かに僕が見学していた時もたくさんの学生が先生に連れられて見に来ていた。中には、少しこのような展示には早いのではと思うような小さな子供も連れてこられていた。こういった教育は徹底してるのだろう。
この旅でも、行く先々でホロコーストの残影に出会った。オランダにはアンネフランクの家があり、チェコにはシナゴーグ、パリでもユダヤ人虐殺についての慰霊碑がポン=ヌフの近くにあった。ヨーロッパにとってこのホロコーストというものは、想像以上に大きな悲劇であり、今でも大きな禍根を残していることがよくわかった。
ベルリン見学はこれで終わる。もう体力的にも精神的にも限界である。ベルリンで行きたい所をドイツ人の友人に話した所、ダークツーリズムがひどすぎる、次は普段の街やら別の視点も見て欲しいと言われた。そりゃ当然だろう。分裂時代やらナチス時代やら暗い時代のものしかほとんどみていないのだから。ベルリンは首都故の荘厳さを保ちつつ再開発による若いエネルギッシュさも併せ持つ面白さがあり、まだまだ見きれない魅力に溢れた街だった。もう一度来てみたい街だと思った。
明日はチェコに列車で向かう。