私のヨーロッパ日記

2016年4月19日から5月3日までヨーロッパを周遊しました。その日記です。

4/30 ロンドン1日目 ユーロスター、ロンドン周遊、ミュージカル鑑賞

f:id:myeurotravelling:20160513201236p:plain 英仏国際特急ユーロスターはパリ北駅から出発する。イギリスはシェンゲン協定国ではない為、ボーダーコントロールがある。ユーロスターの場合、シェンゲン圏からの出国、イギリスへの入国を全てパリ北駅で行う。ヒースローでは厳しいことで有名なイギリスの入国審査だが、ここでは一度シェンゲン圏に入っているからか何も聞かずにハンコを押してくれた。

入国審査が終われば、あとは待合室で改札を待つだけである。ヨーロッパの大きな駅ではだいたいフリーのwifiが使用できる。インターネットでメールなどを読んで時間をつぶしていた。

放送が流れた。改札開始を告げる放送だった。列をなし改札が始まるのを待っていた乗客たちがどんどん改札口へと吸い込まれていく。私も急いで列に並び改札を抜けた。

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ユーロスター専用ホームにはユーロスター2編成隣同士に停まっていた。車両番号を確かめ乗り込んだ。座席に座り時刻表を調べた。たった二時間半でロンドンに着く。しかも時差一時間のおまけがあるので9:00発のこの列車はロンドン時間10:30にロンドンセントパンクラスに着くのだ。

こんなにこの二つの都市は近かったのかと改めて思う。そんなことを調べていると知らぬうちに列車は動き出していた。たった3日間とは言え見慣れたパリの街並みを縫って列車は北へと進む。市内に列車があるうちはまだその高速鉄道たる実力は見て取れない。ただ郊外に出てからはぐんぐんとスピードを上げていき風景が後ろへ飛び去るような感覚を受けるようになる。f:id:myeurotravelling:20160513201326p:plain

そこからは速かった。印象派の絵画に出てくるような美しい淡い色合いのフランス農村部の風景を大して楽しむ間も無く、フランス側ドーバー海峡の街カレーをあっさり通り抜け、高い柵とマシンガンを携帯した兵士で守られたボーダーを越えると、あっという間にユーロトンネルへと列車は進入する。暗闇の中、時々青や赤の照明が後ろへ飛び去っていくのが見えるだけとなる。

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列車は20分ほどでドーバー海峡を渡りきる。イギリスだ。先ほどまでの淡い色合いをしていたフランスのだだっ広い平地とは一変し、深い色合いの緑の丘が続くイギリスらしい風景になる。そう昔テレタビーズというイギリス発の子供番組があったが、あのオープニングで出てくる丘、あれが続くのだ。

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そんなイギリスの農村部の姿をゆっくり見てる間もなく列車はロンドンセントパンクラス駅に到着した。

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セントパンクラス駅は大混雑だった。一年に数回あるバンクホリデーの連休の初日だったのだ。地下鉄の乗車に使うプリペイドカードを購入するにも長蛇の列であった。ロンドンではオイスターカードという美味しそうな名前のカードがSuicaICOCAの役割りを担っている。バスはこのカードが無ければ乗れないし地下鉄もこのカードが無ければ半端なく高くなるので購入が必須である。列を並び自分の順番が来たのに持っていたクレジットカード全てが何故か使えず(海外で使ったので銀行が気を効かせて凍結していたそうだ)ATMでポンドを降ろしてからもう一度並ぶといったがっくりする作業はあったもののなんとか購入することが出来、地下鉄でホテルの近くの駅、ベイカーストリート駅へ。

ベイカーストリートはシャーロックホームズの舞台となった場所である。名前を聞くだけで胸はずむが、鉄道が好きならばもう一つこの駅に心躍る理由がある。世界一古い地下鉄の駅のうちの一つで当時の駅が復元保存されているのだ。当時は蒸気機関車が地下を走っていた為、非常に煙たく乗るのは「ちょっとした拷問」だったそうだが1日に4万人もの人たちを運んでいたのだと言う。古いホームはレンガ造りで照明も薄暗いいかにも古めかしいものだった。

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ホテルにチェックインし、昼ごはんを食べたく、美味しい店を教えてもらおうとロンドンに住む友人に連絡。聞くとフィッシュアンドチップスのうまい店が近くにあるのだと言う。まずはそこへ向かう。

店の名前はThe Seashell of Lisson Groveと言った。本場のフィッシュアンドチップスは魚を鱈、エイ、カレイといったものから選ぶことが出来る。まずはオーソドックスなものを頼みたかったので鱈のスモールにした。大体レギュラーサイズが日本の二人前ということをこれまでの経験で分かっていたからだ。予想は的中。スモールでちょうどよい量、ポテトと合わせるとやはり1.5人前だった。炭酸水と合わせて昼食とする。ビネガーやレモンをたっぷり振りかけて食べると、衣のサクサクと鱈のホクホクのコンビネーションがたまらない。1.5人前の見立てだったがペロッといけてしまった。ヨーロッパに来てから、本当によく食べる。なんだか体が重くなっているような気がする。

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その後、ロンドン名物の二階建てバスで移動。もちろん二階の一番前を陣取る。どこにいっても、街を知る為には公共交通機関、そのうちでも路線バスかトラムを使うのが一番だ。地下鉄と違って街を様子を見ることができるし、何より地元の人の流れを知ることができる。どことどこが繋がって街が成り立っているのかをよく知ることができるからだ。

乗ったバスは453番バス。オクスフォードサーカス、ピカデリーサーカス、トラファルガースクエア、とロンドン市の中心を行くバスだ。

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三連休の初日ということもあってオクスフォードサーカス、ピカデリーサーカスあたりはびっくりするほど賑わっていた。ヨーロッパを旅して10日は過ぎているが、こんな人出を見たのは初めてだった。f:id:myeurotravelling:20160513201933p:plain

にぎわう街をバスはトラファルガースクエアを過ぎさらに南下する。ロンドンの象徴であるビッグベンとウェストミンスター大寺院が見えてきた。

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テムズ川沿い、ロンドンのど真ん中である。ここでバスを降り、あたりを散策することにした。

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ビッグベンやウェストミンスター宮などを見学した後、ウェストミンスター駅に行ってみると、テムズ川を行くリバーバスというものがあることを知った。調べてみるとウェストミンスター橋を渡った向こう岸に見える大観覧車ロンドンアイの下から出ているのだという。さっそく行ってのってみる。

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このリバーバスは観光と実際の公共交通機関としての役割を兼ねているようだった。このリバーバスにのってもう一つのロンドンの象徴である、ロンドンブリッジ、タワーブリッジへと向かう。

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私も実はロンドンに行くまで混同していたのだが、ロンドンブリッジと聞いて頭にイメージするあの二つの塔を持つ跳ね橋は実はタワーブリッジという名前の橋でロンドンブリッジではない。ロンドンブリッジはコンクリートでできたどこにでもあるような地味な橋なのだった。このロンドンブリッジは実は70年代にかけ直されており、一代前の橋は大理石でできた橋だったそうだが、重すぎてテムズに年々沈んでいっていたというとんでもない橋であったそうだ。今はアメリカ人が購入し、アリゾナ州の湖の上に復元されているという。

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写っている地味な橋が「ロンドンブリッジ」

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これは「タワーブリッジ」

リバーバスはそのロンドンブリッジをくぐり、タワーブリッジの麓の「タワー」桟橋についた。ロンドン塔の最寄りである。もともとはここで降りるつもりだったが、どうしても船で見栄えのよいタワーブリッジをくぐりたくなり、その次の桟橋まで乗ることとした。

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リバーバスはタワーブリッジをくぐると急にスピードをぐんぐん上げ、テムズを東へ爆走するようになる。はじめは川辺の風景を楽しんでいたが、どこまでいっても次の桟橋へつかないので少し青ざめる。そして本気で心配し始めたとき、やっとついたのがカナリーワーフという高層ビルが立ち並ぶ再開発地区であった。調べてみると金融関係の大企業がCityからここに移ってきているのだという。

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街並みは日本でいうと品川の再開発地区のようでわざわざロンドンにまで来て見るものもないだろうと判断し、地下鉄で中心地に戻り、ロンドンの金融中心地、バンクへ。その名のとおりイギリスの中央銀行であるイングランド銀行がある場所である。

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一応街を散策し、満足したところで、ウェストエンドのレスタースクエアへ。ロンドンといえばウェストエンドのミュージカルである。レスタースクエアという広場に行けばチケットが安く手にはいると聞き向かったのだ。

見たかったのは、本場のレ・ミゼラブルだったが、三連休ということなのか休演日。何をみようかと迷ったが「チャーリーとチョコレート工場」のミュージカルを見ることとした。これであれば話はなんとなく知っているから筋を追って行けそうだと思ったからだ。チケットをレスタースクエアのTKTSというチケットディスカウントで買おうとしたが、なんと劇場で買ったほうが安いのだという。劇場まで急いで行き、チケットを購入し、軽い食事をとって公演開始に備えた。

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開場時刻になり劇場に行くとほとんどの席が埋まっているほどの大盛況だった。しばらくしているとベルがなりミュージカルが始まった。感想をいえば、本当に見てよかったというものだ。ティムバートンのチャーリーとチョコレート工場のあの禍々しくもあるファンタジーの世界が舞台上で見事に再現されているのには舌を巻いた。大規模で豪華なセットと3Dプロジェクションも使用される映像との組み合わせといった舞台装置の凄さもさることながら、それに負けない子役を含む演者の素晴らしい演技をこれでもかと見せつけてくれる。まさに世界一流のミュージカルとはこういうものなのだろう。素晴らしい舞台であった。

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劇場を出ると、さすがに暗くなっていた。ピカデリーサーカスからバスに乗りホテルへと戻り長い一日を終えた。

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5/1 ロンドン2日目 大英博物館、グリニッジ天文台、友人宅での食事

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イギリスの食事は不味いとよく言われる。確かにフランスなどに比べて地味な印象を受けるし、イギリスを旅した友人の評価も良くなかった。ただそんな不味いイギリス料理の中でも一つだけ例外があると言われる。それは朝食だ。ボリュームたっぷりのイングリッシュブレックファースト。かのサマセットモームもこんな言葉を残している。「イギリスで美味い飯を食べたければ1日3回朝食をとるべきだ」

それなら、ということで是非ともうまい朝食を食べたいと思い、評判の高い朝食専門店へ行ってみた。SOHO地区にあるbreakfast clubという「名は体を表す」を地で行く店だった。

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着いてみると連休の中日だから大行列。40分ほどかかるなどと言われてしまう。朝飯で40分待つとは正気の沙汰ではないとも考えたが、まあせっかく来たのだからと待ってみた。すると、たまたま回転が早かったのかその半分ほどの時間で案内された。

頼んだのはオレンジジュースと当然ながらイングリッシュブレックファースト。すぐに出てきた。イングリッシュブレックファーストとはベイクドビーンズ、ベーコン、ソーセージ、パン、目玉焼き、焼きトマトが基本のプレートであるが、この店のものは本当に基本に忠実な作りだった。

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味は確かにうまい。ただ、感動するほどのうまさではない。このために行列に並ぶのはちょっと割に合わないかなと思った。だって家で作れそうなのだもの。

他の人が頼んでいたエッグベネディクトは本当に美味しそうだったので、この店では他のものを頼んだ方が良かったのかもしれないし、モームの発言が大いなる皮肉であることにもう少し早く気づく必要があったのかもしれない。

 

その後、歩いて大英博物館へ。ここもルーブルと比肩する世界最大級のミュージアムだ。心してかかる。

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まずいきなり目に飛び込んでくるのがかの有名なロゼッタストーン大英博物館の至宝中の至宝と呼んでよいものだろう。みな必死に写真を撮っている。エジプトが返還を求めているが、この人気じゃ返すつもりはないだろう。

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また気になったものを幾つか写真で貼っておく。

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実は大英博物館で一番印象に残ったのは時計の展示だった。400年以上前に作られたものが今でも時を刻んでいる。この技術力たるや誠に恐れ入る。この技術が産業革命を生み出す礎となりイギリスを世界に冠たる帝国にしたのだ。これらの技術がなければ、この大英博物館にある展示物のほとんどは今頃、別の何処かにあるのだろうと思った。

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今日は昼から留学時代の友人の夫婦に何処かに連れて行ってもらう約束となっていた。夫が日本人、妻がイギリス人という夫婦でどちらとも留学中仲良くさせてもらっていた。お子さんも出来たとのことでどう変わっているか非常に楽しみだった。

お昼になり、待ち合わせ場所のロゼッタストーン前へ。どんな変化があるかと期待していたが、お子さんが出来たこと以外は、全然変わっておらず逆にびっくりする。もう5年は会っていなかったはずなのだが。なんだか隣町に住む友人にまた会った、くらいの感覚に陥ってしまう。これはこれで良いのだけど。

ただ、日本人の旦那の方は少し疲れているような気もする。
多分、社会に出て以前よりも大人になったのだろうと思った。

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友人たちは私を世界標準時グリニッジ時間のグリニッジ天文台へ連れて行ってくれるという。是非とも行きたいところだったので良い提案だった。

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経度000の本初子午線が通過するグリニッジ天文台はロンドン郊外にある。北極という絶対的基準がある緯度に比べて経度はどこかを基準として人工的に決めなければならない。この天文台を通過する経線が0度と決められたのも七つの海を制したイギリスの国力を物語っている。

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グリニッジ本初子午線

ご存じの通り、イギリスは18世紀末から20世紀初頭まで、世界の陸地の四分の一をその手中におさめるほどの超大国であった。この国にこれほど大きな力をもたらしたのは産業革命と海運だ。その海運を支えたのがこのグリニッジを中心として培われたイギリスの先進的な航海術であった。

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航海術のうち非常に重要なのは自船の位置を知ることである。15世紀からの大航海時代、ヨーロッパの列強諸国が世界各地に冒険家を派遣した頃において、太陽や北極星といった天体の見える角度を六分儀で測り自船の位置を知るという天測航法という方法が一般的であった。

ただ、これでも緯度は測量できるものの、経度の測定は相当な難易度を伴っていた。その経度の測定という難問を解いた鍵がイギリス人技師によるクロノメーターの発明とグリニッジ天文台での天文観測であった。

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クロノメーターとは船に積み込むことのできる精度の高い時計である。これを出港時にグリニッジの時刻に合わせておく。つまり出航後もいつでもグリニッジ時刻を知る事が出来るようにしておくのだ。そして航海中、自船の位置を知りたい時、まず太陽や北極星といった特定の天体の角度を六分儀で測る。そしてクロノメーターの時刻をもとにグリニッジ天文台が発行する航海年鑑に掲載されているグリニッジにおける天体の角度の推移表と現在地における天体の角度を比較し、それらがどれくらいずれているかを計算することにより今、どれくらい船がグリニッジから離れているのか、つまり経度を知る事が出来るようになったのだ。これによりイギリスの航海術は完成し、莫大な富を交易からもたらす事になった。

そのことからこの天文台が未だに世界の時間と空間の規範として作用しているのだ。

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現在のグリニッジにも天文台は残されていて中を見学する事が出来る。まわりは公園となっていて非常に美しかった。

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その後、イギリス人の友人が実家に招待してくれたのでお伺いすることに。母親がブルガリア出身で今日がブルガリアイースターなのだとか。お邪魔をする。

 

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久しぶりに友人の家族とご対面。実は留学先でお会いした事があったのだった。懐かしい話に花が咲く。友人のお父さんが自身の母親を母親が住む家まで迎えに行くので一緒に行かないかと言ってくれた。面白い家なのだという。誘いを受け友人のお父さんと二人でお出かけ。車に乗せてもらう。

ついたところはロンドンでも高級感溢れる住宅地であるハムステッドヒースという場所だった。ここは水の悪いロンドンでは珍しく良い水が出たところなのだという。そこで保養所が出来、そこに労働階級が向かうための鉄道が出来、という形で発展していったという土地らしい。

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その一角に建つ3階建ての瀟洒な洋館にお邪魔した。何処かのドラマで見たようなイギリス式の中庭が会っていろんな花が植わっていた。まわりは静かで聞こえてくるのはカッコウか何かの鳥の鳴き声である。なんと環境のよいところで暮らしているのか。日本の住環境もかなり良くなっており私の住んでいるところも便利で悪くないとは思っているが、なんというか、こんなに優雅ではない。

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家の至る所に置いてあるアフリカや東欧から持ち帰ったという文物やら家族の写真などを紹介してもらった。そして、実はイギリスに来る前に、ベルリンに行っていたことを伝えると、実はこのお父さんの両親はドイツから来たのだという。旧東ドイツ領に家がまだあるといい、写真も見せてもらった。ドイツ時代の父親の写真も見せてもらった。軍服を着ていた。いつの写真か聞くと戦争前のものだとのことだった。

おばあさんを連れ実家に戻ると友人の弟さんも来ていた。懐かしい顔だ。何年ぶりだろうか。ビールやら手料理やらを頂き、色々おしゃべりをしているとあっという間に10時ごろ。またお父さんにホテルまで送って頂いた。

本当に楽しく貴重な経験をさせて頂いて本当に感謝しています。またお会いしたいです。

f:id:myeurotravelling:20160514225856p:plain そして、今日というこの日を大団円で終わるべく部屋に戻ろうとしたら、なんとホテルの玄関ドアが開かない。カードキーが無効になっているようなのだ。

なんどもベルを鳴らすが誰も出てこない。どうするか、野宿か、とドアの前で悩んでいたところ別の客がやってきた。

どうしたの?と聞かれ事情を話すと一緒に入れてくれた。そして部屋を開けようとしたら、やはり開かない。どういうことかとフロントに行っても誰もいない。フロントにベルがあったので何度か鳴らすと、なんと身体中に入れ墨を入れた筋骨隆々のスキンヘッドの男があくびをしながら降りてきた。そして私の姿を一瞥すると、投げすてるようにこういった。「おい、お前、なんどもベルを鳴らすなよ!こんな遅くになんだっていうんだ。」無茶苦茶怖い。ただ、部屋に入らない訳には行かない。キーが使えないことを伝えると、本当に不機嫌そうにパソコンで操作を始める。するとなにか設定をし直したのだろう。カードキーを私に渡すとニコッと笑って「グッナイト」と言ってくれた。まあそれもめちゃくちゃ怖かったのだが。なんだったのか。

帰国後、このホテルのネットでの、評判を改めて見てみたが、概して評判はよかった。そうだろうだからこそここを予約したのだ。ただ、一つだけしてはならぬ事があると書いてあるレビューを見つけた。してはならぬ事、それは夜中にスタッフを呼ぶこと、だった。

5/2 ロンドン3日目 ナショナルギャラリー、ロンドン交通博物館

今日の予定は、夜8時の飛行機でアムステルダムへ飛ぶことしか決めていなかった。明日の昼の帰国便の為の前日入り。それ以外は何も決めていない。今回の旅行だが、はっきり言えば行き当たりばったりだった。何せヨーロッパ旅行自体を出発の5日前に決めたのだから。なので準備は到底間に合わず、旅をしながら旅の予定をたてていた。帰国便を除くチェコ以降のホテル、列車、飛行機の予約はこちらに来てからだ。なんとかなった。

朝食をとりながら、地図を広げた。ナショナルギャラリー、ロンドン名物の護衛兵の勤務交代式、そしてロンドン交通博物館へというプランを立てた。空港に前もって行かなければならないことを考えると、大体こんなものだろう。

ナショナルギャラリーは英国を代表する美術館だ。13世紀以降の作品を主に扱っており、その収蔵作品数20000という、またしても規模の大きな美術館だ。これを全部つぶさに見ていたら1日が終わってしまう。なので好きな近代の絵を中心に見て回った。

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「睡蓮の池」(モネ、1899年)

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「ひまわり」 (ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ1888年

第二次世界大戦前までは兵庫県芦屋市にもゴッホの「ひまわり」があったという。残念ながら阪神大空襲で焼けてしまったのだとか。

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「ケイテレ湖」(アクセリ・ガッレン=カッレラ、1905年)

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セザンヌの肖像』(カミーユピサロ、1874年) 後ろのデフォルメ版セザンヌがかわいい

あっという間に時間がたち、勤務交代式の時間。急いでバッキンガム宮殿へ。黒山の人だかりだった。世界各国からの観光客がここに集結しているようだった。勤務交代式自体は、観光客の多い夏は毎日実施、冬は1日おきに実施というところからも見て取れるようにもう本来の役割よりも観光のアトラクションという役割を担っている様だった。中身はと言えば、お馴染みの黒く細長い綿帽子をかぶった赤い軍服の兵士が行進をしたり、ブラスバンド演奏をしたりするもので、自分がロンドンにいるということを確かめるために一度は見ておいたほうがよいかなという程度のものだった。

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この辺りで昨日世話になった友人に連絡する。昨日、日本からのお土産のうち幾つかを渡すのを忘れていたのだ。連絡すると夕方に空港行きのバス停に来てくれることになった。

お昼を簡単に済ませ、街歩き。本当に適当に歩いていたら大英博物館にまたたどりついた。よく考えればアジアの展示が見れていなかったと思いもう一度入場。中国や日本の展示を見て回った。これらの展示物がどのような経路でここにやってきたかを考えながら。

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そして交通博物館へ。ここも長蛇の列だった。さすがイギリス鉄道発祥の地、ファン層が厚いなどと考えたが、よく見たら殆どが親子連れで、大人一人で並んでいるのは僕とあといかにも同好の士と思われる欧米人とアジア人の二人位だった。この博物館、入場券が17ポンドと半端なく高い。2000円以上である。(1年間有効だそうだが多分一年以内にここに来ることはないだろう) 。ただ子供は無料なのでこうやって子供連れが多い。子供連れを優遇し、鉄道が好きなもの好きたちからは多く取っておこうというポリシーなのだろう。

ただ展示物はやはり地下鉄発祥の地イギリスだけあって濃く内容あるものだった。ただ、正直言って少し割が合わない気がした。ロンドンを旅していると、入場料にしても食事にしても割に合わないと思うことが多い。感覚から言って日本の物価の1.5倍くらいだと思う。まあそれでも来てよかったとは思っているが。今度は地方をゆっくり鉄道で巡ってみたい。

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交通博物館ではイギリスの鉄道雑誌のバックナンバーが無料同然でディスカウント販売されていた。大量に買い込む。チケット代の元を取った。

こんなことをしていると夕方。バスの時間が近づいてきた。ベイカーストリートのバス停へ地下鉄で戻ると友人夫婦が二人でやってきてくれた。お土産を手渡し、バスの出発まで時間があったので色々とおしゃべり。

旦那の方に、共通の九州に住む友人と連絡を取っているかと聞いたところ、最近連絡を取ったと言う。なんと書いた小説の校正をしてもらったらしい。新人賞に応募しているのだ。「群像はダメですね。今度は違う文芸雑誌に出そうかと思います」などと落とされているのにも関わらず、上から目線で文芸雑誌を否定する彼の姿は、留学時代と全く同じで、変っていなく、本当に心強かった。大人になんかなっていなかった。

年をとるにつれ現実はその存在感を増し、夢や理想は端へと追いやられるようになる。そして、小賢しい生き方を様々な形で説き勧められ、如何にこの社会でうまくやっていくかを人と競うようになる。ただそんな社会においてもどうしてもそんな生き方ができない人間は一握りいるもので、いつまでたっても理想を追っかけ、大馬鹿野郎と罵られる。そのうちの、本当に幾人かは、いつか天才と崇められるのかもしれないが。私の友人にはそんなどちらかと言えば、小賢しい生き方ができない人間が多い。彼も多分そのうちの一人で、それは変わっていなかった。だからこそイギリスくんだりまで来て仕事をして、小説を書いて「群像はダメですね」などというセリフを吐く。これぞ彼だ。変わっていない。目に力があった。心から応援する。お互い頑張ろう。

予約したバスがなかなかこなかったので別のバスにのりルートン空港へ。そこからアムステルダムへ向かった。明日は昼の便で日本に帰るだけだ。

 

5/3 さよならヨーロッパ

行ってみて実感したのは、ヨーロッパは本当に多民族体だということだ。大きな街に足を運ぶと様々なバックグラウンドを持つ人々が集まっている。アフリカ、中東、アジア、ヨーロッパとまるで人種のカタログだ。パリを歩いていると様々な民族衣装を見てとることが出来るし、ポンピドゥーセンター前ではアフリカから来た人達が集まりアフリカの歌をみんなで歌っていたりする。他の街もそうだ。街を歩くと常に複数の言語が聞こえてくる。バイリンガルなんて当たり前、トリリンガルも珍しくない。またミックスの人達も普通にいる。東アジアで言えば日中韓朝の国境が希薄化し、それぞれの言葉を二つ以上話すのが当たり前、ミックスであってもそれが普通、そんな世界がヨーロッパだった。

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EU市民であればEU区域内での移動と居住の自由が認められる。居住国であれば国籍が異なっていても市区町村選挙に立候補できる。どの加盟国の外交機関、領事機関の保護を受ける事ができる。国籍によって差別されない。そう明文で謳うのがEUの基本条約のうちの一つ「欧州連合の機能に関する条約」である。この仕組みにより文化のミクスチュア化が加速度的に進んでいる。

そんなヨーロッパで2015年11月13日、発生したのが、パリ同時多発テロだった。死者130名負傷者300名以上という大惨事だった。

この同時多発テロにおいて一番被害の大きかったのがバタクラン劇場だ。ここだけで少なくとも89人の方が亡くなっている。

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実際に足を運んでみると、観光客が普通に足を運ぶ場所であったことに改めて驚いた。パリの若者が集まるマレ地区から観光地としても有名なサンマルタン運河へ向かおうとすると、普通にこのあたりを通ることとなる。足を運んで地理関係を把握すると、このテロ事件の本当の恐ろしさがよくわかる。普段の街で大殺戮が発生したのだ。犯人は移民としてベルギーに入り、シェンゲン協定区域であるゆえにフランスにフリーパスで武器を持ってやって来れたのだ。

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ヨーロッパは、今まさに自分達の進めてきたボーダーの開放路線によって想定されたリスクの大きさを突きつけられている。

また、テロだけでなく難民の受け入れ問題もヨーロッパにおける大問題だ。バルカン半島の国々のボーダーは押し寄せる移民で麻痺状態だ。

テロと難民、この二つが現在のヨーロッパに漂う大きな暗い影だ。どちらも中東の政治的失策という根本原因は同じなのだが、EU内でコントロールできる問題でない為、解決するのは難しい。

ただこういった問題はヨーロッパにとって以前から容易に想定できたリスクである。そのリスクが現実のものと化した今でも政策の調整はあれど、ヨーロッパが移動居住の自由という原則を見直さないのはなぜだろうか。それは、ヨーロッパ自身がこれまでの歴史の中で様々な文化が混じり合ったからこそ享受できた価値を非常に重視しているからに他ならないと感じた。今回、様々な美術館や博物館を訪れたが、本当に様々な文化が様々な文化的背景を持つアーチストによって表現されていることがわかる。ヨーロッパの芸術家が一つの国に留まるのは珍しい。複数の国に住むのが普通だ。例えば、ゴッホはオランダ生まれだがイギリス、ベルギー、フランスと移り住んだ。ピカソもスペイン生まれだが、フランスに長くいた。舞台もそうだ。ヨーロッパの芝居では単一国籍の人間だけで構成される舞台なんていうのはほぼない。複数の文化的背景がミクスチュアされることで引き起こされる化学反応が生み出したヨーロッパの傑作は数えることができないほどだ。

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芸術の範疇だけではない。ビジネスにおいても職場が多国籍であることも当たり前。外国人と外国語でやり取りするのが当然の世界だ。

そんなヨーロッパの歩みを踏まえれば、ヨーロッパにおけるボーダーの希薄化という趨勢は、テロと移民のリスクがあったとしても、調整はあれども方向が変わることはないだろうと考える。何よりもそんな自由なヨーロッパが好きだ。と旅行中に何度も感じた。

 


 

これで今回の旅行記は全て終わる。正直言って長い15日間だった。毎日、濃く充実した日々を過ごせたが、その分しっかり疲れてしまった。今回は初めてのヨーロッパだったので、好奇心が勝ってしまい、足を棒にして歩き回った。なんせiPhoneの記録によると毎日最低20kmは歩いていたのだからそりゃ疲れる。

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また、今回の旅行では本当に多くの美術館や博物館を訪れた。またコンサートや人形劇、ミュージカルとたくさん舞台も見た。全てが一流のものだった。本気で取り組んだ仕事の結果生まれた傑作ばかりだった。小手先の作品はいとも簡単に見破られるのだ。いくら才能があったとしても自分の仕事に誇りを持ち本気で取り組まなければ一流の作品を創り出すことは不可能であることに痛いほど気付かされられた。

今回の旅行の前、私事で様々なことがあり、何においても力が出せなくなってしまっていた。ヨーロッパの各地で見た後世に残る傑作たちはそんな私を本当に勇気付けてくれた。力を与えてくれた。これからどうするにしても、幾つになっても真剣に本気で取り組むことが大切なのだ。と教えてくれたように思えた。

それが今回の旅の最大の収穫だったように思う。さあ頑張ってみるか。そしてさよならヨーロッパ。また会う日まで。

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